2019/10/08

表現の自由って?

「表現の不自由展」 あす午後再開

 まず、この話は2つポイントがある。そのへんをごっちゃにしてはいけない。

ひとつめ
・「表現の自由」と「ヘイト」の境界

 これって誰が判断するの? 裁判してもおそらく納得のいく結論は出ないであろう。
誰が、いつ、どんな場所で、という事にも係わるだろうし、本人がどういう意図だったか、なんて判りようがない。
 表現する側で判らなければ、見る側か? それこそ受け手の考えは千差万別。「不快に思うヒトがいればヘイトだ」などと幼稚な基準を掲げるバカなど相手にできない。
 ここで必要なのは、誰もが納得はできないまでも、白(表現の自由)と黒(ヘイト)を区別できる明確な基準なのだ。


 そんなの無理? そう、この議論は終わらないのだ。千差万別のグレーをどこかで白か黒かに切り分ける事自体が無理なのだ。

 で、あるならば「表現の自由」は最大限に尊重されるべきであろう。不敬な映像だろうが、事実関係に問題がある像だろうが、政治的な意図のある作品だろうが、好きに発表、展示するが良い。それが「表現の自由」である。
 と、同時に発表者はその作品についての批判や評価も受けるべきである。「表現の自由」と同様に、その作品を見た人々の「感想を表現する自由」も尊重されるべきである。

 そう思えば、作品についていろいろな意見が飛び交っている現状は、かなり健全であると思える。

ふたつめ
・公金で補助すべき事案だったのか?

 問題はこっちだな。
 芸術の展覧会について、自治体が協賛、補助するのはよくある話。ただ、今回は賛否が分かれる事が明白な展示物について、補助するべきであったのか。
 サヨク的志向の展示物について、公金から補助が出るという事実を見れば、愛知県の太っ腹さと懐の広さを示す良い事例とも言える。

 逆に、サヨク的な方々は、公金から補助を貰いながら反権力的活動をするという諧謔的事実について、どのようにお考えだろうか。

 愛知県は公正を期して、賛否のある事案については両論を、という原則を掲げるべきだった。偏った展示物だけでなく、反対方向に偏った展示物も容れる。それでこそ、「表現の不自由」というテーマを考えさせることになったと思う。

 主催は実行委員会となってるけど、コレ元々旗を振ってるのは県じゃないの?
だったら、偏りすぎは良くないな。

0 件のコメント: