2019/10/10

Five Star Storys

Five Star Storys 永野護

長い! 連載スタートが1986年。リアルタイムで月刊ニュータイプ見てた気がする。30年以上やってるのか…。そりゃお互い歳も取るよね。

 個々のエピソードはやはり面白い。が・・・。

 数年前の設定の大幅変更は賛否あるようだが、私は否定派である。変更に全く必然性が無いからである。

 何で変えたの?という疑問。「作者が飽きたから」という以外の理由が思いつかない。そりゃ30年もやってりゃ飽きるよな。時代も変わるし、デザインのセンスも変わる。仕方ないとは思うけど、30年間付いてきた読者は置いてけぼりだよ。

 どこでだったか忘れてしまったが、「漫画の寿命10年説」というのがあった。
例えば、少年誌で漫画が連載されたとしよう。読者が14歳の中学生だとして、10年経ったら24歳の社会人。中学生の自分が読んでいた漫画を同じ気持ちで読めるだろうか?
20歳の大学生だったなら、10年経てば一人前と見なされて主任ぐらいにはなっている30歳サラリーマンである。読むことはできても10年前のようにワクワクできるだろうか?

 これはやはり長くやりすぎたんだよ。

2019/10/09

蒼き鋼のアルペジオ Ark Performance

蒼き鋼のアルペジオ Ark Performance

 いちおう説明しておくと、近未来において突如として人類に敵対する「霧の艦隊」と名乗る海洋勢力が出現。人類側は大敗北を喫し、制海権を喪失。グローバル化の進んだ経済は、いきなりその流通を遮断され大打撃を受け、以降、孤立した人類社会は停滞する。
 一方「霧の艦隊」側も勝利を収めたものの、一見非効率的にも思える人類に興味を持ち、人型のパーソナルモデルを構築し人類との接触を図る。全く異質な両者の接触により、戦いは新たな局面を迎える。

 とまぁ、そんな話である。
面白いんだよ、アイデアは! 二次大戦中の旧式艦艇の上でパーソナルモデルである美少女が見栄を切るのは、絵的にとても良い。でも、それだけなんだよ! 結局、この絵が描きたいだけのマンガ(笑)

・人類側キャラクタ、特に主役が薄っぺらい
 いきなり致命的だ。若いくせに意味無く万能すぎ。人物の背景も、謎めいた伏線らしきものはあるが、別に興味を惹かれない。「ボクの考えた無敵の艦長」という中2設定である。
 その周囲を固める乗組員も同様。無意味に優秀。天才艦長のお友達は、みんな天才ですか?(笑) 何、このバカ設定?
 主役に全く魅力が無い! もっと細かく人物を描写していかないと、共感もハラハラもしないよ! 君ら何で命がけで戦ってるの?趣味なの?

・世界設定が大風呂敷すぎ。多分オチは考えていない
 「霧の艦隊」がオーバーテクノロジー過ぎる。もはや人類の技術ではどうにもならん。
それは仕方ないとして…、何で彼らは人類とわざわざ戦ってるんだい?目的は何?

 その気になれば、人類を殲滅できるぐらいの技術差あるよ?

・im your father
 出たよ!ラスボスは父親ですか!? イマドキ!? 何のためらいも無くこんな使い古された設定をブチ込んでくるとは。(呆)

【結論】
 絵以外に見るべき価値は無い。

2019/10/08

表現の自由って?

「表現の不自由展」 あす午後再開

 まず、この話は2つポイントがある。そのへんをごっちゃにしてはいけない。

ひとつめ
・「表現の自由」と「ヘイト」の境界

 これって誰が判断するの? 裁判してもおそらく納得のいく結論は出ないであろう。
誰が、いつ、どんな場所で、という事にも係わるだろうし、本人がどういう意図だったか、なんて判りようがない。
 表現する側で判らなければ、見る側か? それこそ受け手の考えは千差万別。「不快に思うヒトがいればヘイトだ」などと幼稚な基準を掲げるバカなど相手にできない。
 ここで必要なのは、誰もが納得はできないまでも、白(表現の自由)と黒(ヘイト)を区別できる明確な基準なのだ。


 そんなの無理? そう、この議論は終わらないのだ。千差万別のグレーをどこかで白か黒かに切り分ける事自体が無理なのだ。

 で、あるならば「表現の自由」は最大限に尊重されるべきであろう。不敬な映像だろうが、事実関係に問題がある像だろうが、政治的な意図のある作品だろうが、好きに発表、展示するが良い。それが「表現の自由」である。
 と、同時に発表者はその作品についての批判や評価も受けるべきである。「表現の自由」と同様に、その作品を見た人々の「感想を表現する自由」も尊重されるべきである。

 そう思えば、作品についていろいろな意見が飛び交っている現状は、かなり健全であると思える。

ふたつめ
・公金で補助すべき事案だったのか?

 問題はこっちだな。
 芸術の展覧会について、自治体が協賛、補助するのはよくある話。ただ、今回は賛否が分かれる事が明白な展示物について、補助するべきであったのか。
 サヨク的志向の展示物について、公金から補助が出るという事実を見れば、愛知県の太っ腹さと懐の広さを示す良い事例とも言える。

 逆に、サヨク的な方々は、公金から補助を貰いながら反権力的活動をするという諧謔的事実について、どのようにお考えだろうか。

 愛知県は公正を期して、賛否のある事案については両論を、という原則を掲げるべきだった。偏った展示物だけでなく、反対方向に偏った展示物も容れる。それでこそ、「表現の不自由」というテーマを考えさせることになったと思う。

 主催は実行委員会となってるけど、コレ元々旗を振ってるのは県じゃないの?
だったら、偏りすぎは良くないな。