倫理というか、生死観、哲学的な事を含み、難しい問題だと思う。
まず、人の死の境界線はどこなのか?
医学の進歩で、境界線が線ではなく幅を持つようになってしまった。ここに改めて線を引こうというのだが、脳死をもって死と割り切れるほど、まだ日本人はドライではないと思う。
法律で「脳死は人の死である」としたところで、遺族がそう思っていなければ提供を拒否されてしまう。
次に遺体から臓器を取り出すという行為への忌避感。
儒教の影響もあるらしいが、日本人は肉体を損なう行為への忌避感が強い。入れ墨やピアスを良いこととは思っていないのはこれである。
また、仏教的には遺体はホトケ様であるのでそれを損なう行為は禁忌である。
しかし臓器移植で助かる人もいるのが現実。さてどうしたものか? 難しい…。
仮に自分ならどうする?という事であれば、非常に簡単だ。私は全ての臓器提供を拒否する。(意外に思われるかも知れないが…)
生死観についてはかなりドライだし、いたって無宗教という自覚はあるが、肉体を損なわれることについては生理的な嫌悪を感じる。
じゃあ自分が臓器移植を受けるしか生きる方法が無いとなると…? うーん、移植を受けてでも生きようと思うだろうなぁ。そこで従容と死を受け入れるほど人間が出来てはいない気がする。
究極はやはり自己細胞による臓器再生技術だと思う。
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